子育て地蔵の由来

西方寺のお地蔵様

西方寺のお地蔵様のおなかの中には過去に焼けて炭となったお地蔵様が収められています。

このことからこのお地蔵様は「子授かり地蔵」「子育て地蔵」と呼ばれています。

このお地蔵様にちなんで、みんなで一緒に母の気持ちで子供を守って育てようという意味を込めて

子育て地蔵のmamaマルシェと名づけられました。


子育て地蔵さま

912年に建てられた西方寺は村のみんなから親しまれるお寺でした。しかし1810年、時の権力者の焼き討ちにより、消失してしまいます。村の人々は何とかお寺を守ろうと、焼け焦げたお地蔵様を救い出します。そしてこのお地蔵様が見つかってはいけないと、田んぼの中に隠しました。このお話は伝説となり語り継がれました。世の中が平和になった時、この話に基づいて仏様を探し出すことになりました。すると、田んぼの中から焼け焦げた痛々しい姿のお地蔵様が現れたのです。人々は新しい大きなお地蔵様を作り、その胎内に炭になったお地蔵様を納めました。修羅のような炎を受け止め、炭となられたお地蔵様は、今も西法寺の本尊でまるで胎内の赤ちゃんのように大切に守られています。それから後、西方寺のお地蔵様は子安地蔵、子育地蔵、子授地蔵などと呼ばれ親しまれ、子授祈願、安産祈願や水子の供養に訪れる人がたくさんおられます。西方寺にはその他104のお地蔵様がいらっしゃいます。その中には炭になったお地蔵様のように土の中から出土した不思議なお地蔵様もたくさんあります。それぞれ違ったお顔をしておられますので西方寺のお地蔵様を巡ってみるのも楽しいですよ。